小説稼業1年目終了
去年のクリスマスにデビュー作『横浜駅SF』が発売されたので、これで小説稼業1周年という事になる。単行本は3冊、小説雑誌の寄稿がいくつか。
小説家というのは5年続けば一人前らしいので、とりあえず0.2人前と言っていいだろう。重量でいうと足先から太もものあたりまでだ。「下半身だけは一人前の小説家」という言い方もできる。
1年続けて思ったことをメモ程度に書く。
■小説家は当たれば儲かる。
当たり前じゃねーかと思うかもしれないが、大学の研究職は当たっても儲からない。企業研究者ですら当たっても儲からないので中村修二が裁判をした事は有名。その点、小説家は当たったぶんだけダイレクトに儲かるので話が早い。
1年間の小説稼業で得た金額は研究職の年収よりもだいぶ多い。だいぶは2倍から10倍の間を指すと思ってほしい。つまり唐突に大学を追い出されても数年は何とかなる。今にも任期が切れそうな研究員としてはたいへんありがたい。
■複数出版社で仕事をすることが必要。
KADOKAWAからデビューした直後はそうでもなかったが、星海社から2冊目が出るとやたら他社からの仕事依頼が増えた。「2社目があるなら3社目もあるだろう」と判断されたらしい。集英社と双葉社の雑誌で小説を書き、エッセイを他3社ほどに寄稿した。
実際にやってみると、出版社ごとに印税率や原稿料やその他の条件が驚くほど違った。大手ほど高いという訳でもなく、どういう基準なのかは不明。安い方に対し「○○社はこのくらいなんで、おたくも上がりませんかねえ」といった交渉をしたら結構上がった。出版社というのは作家を選べるので、対等に交渉するには作家も出版社を選べる必要がある。
ところで「出版社はもっと作家を育てるべき」という意見があるが、これは作家をフリーランスよりも出版社所属のサラリーマンに近い地位に置くべきという話だと思われる。このへんは個人の気質によるだろうが、僕はフリーランスの方が性に合ってるので「あの作家はうちが育てたんだからヨソでは書かせない」といった面倒な文化は出来ないでほしい。
■電子書籍はあまりよくない。
読者としては気にならなかったが、書く側になってみると、デザイナーの方がせっかく面白く作ってくれた部分が電子書籍だとただのプレーンテキストになってしまったり、逆に紙でしか表現しようのない部分を無理に電子にしたせいでやたら読みづらくなったりしていた。
とくに小説などの文字ものはリフロー型になるので、改ページを利用したギミックが使えなくなるし、図版やイラストを入れてもどうもぎこちない。電子書籍の登場でむしろ表現の幅が狭まってしまったように感じる。
ついでに言えば、小説は電子書籍がそんなに売れない。漫画ほどには嵩張らないし、Kindle PW みたいな専用端末でないと読みづらい。
■現状で出版社に頼らない小説稼業は困難。
よく「はじめての同人誌です!」と数百部刷って全然売れず在庫と頭を抱える人がいるが、出版社は新人の小説を何千何万と刷ってその在庫リスクをまるごと抱えて、売れなくても刷った分の印税はくれる。現状で彼らに頼らない稼業は困難。電子小説も現状で期待するほどの規模では無い。特定の出版社が気に入らなければ、他社をあたるべきだろう。
以上。来年も小説家業を続けて0.4人前を目指す。
行政区の一覧
今日は友人と「熊本市の行政区はやたら無機質でSFっぽい」という話をしていて、その流れで全国の政令指定都市の行政区(および東京特別区)の一覧テキストファイルを作った。なんかシェルスクリプトで扱いやすいのがなかったので作った。データは2017/09/11時点のもので、変更にあわせて更新するつもりは無いのでよろしく。
札幌市(10):中央区,北区,東区,白石区,豊平区,南区,西区,厚別区,手稲区,清田区 仙台市(5):青葉区,宮城野区,若林区,太白区,泉区 さいたま市(10):西区,北区,大宮区,見沼区,中央区,桜区,浦和区,南区,緑区,岩槻区 千葉市(6):中央区,花見川区,稲毛区,若葉区,緑区,美浜区 東京(23):足立区,墨田区,荒川区,世田谷区,板橋区,台東区,江戸川区,千代田区,大田区,中央区,葛飾区,豊島区,北区,中野区,江東区,練馬区,品川区,文京区,渋谷区,港区,新宿区,目黒区,杉並区 横浜市(18):鶴見区,神奈川区,中区,保土ヶ谷区,磯子区,港北区,戸塚区,南区,西区,金沢区,港南区,旭区,緑区,瀬谷区,栄区,泉区,青葉区,都筑区 川崎市(7):川崎区,幸区,中原区,高津区,多摩区,宮前区,麻生区 相模原市(3):緑区,中央区,南区 新潟市(8):北区,東区,中央区,江南区,秋葉区,南区,西区,西蒲区 静岡市(3):葵区,駿河区,清水区 浜松市(7):中区,東区,西区,南区,北区,浜北区,天竜区 名古屋市(16):東区,西区,中区,南区,千種区,中村区,昭和区,熱田区,中川区,港区,北区,瑞穂区,守山区,緑区,名東区,天白区 京都市(11):上京区,下京区,左京区,中京区,東山区,右京区,伏見区,北区,南区,山科区,西京区 大阪市(24):淀川区,都島区,港区,福島区,平野区,東淀川区,東成区,東住吉区,西区,西淀川区,西成区,浪速区,天王寺区,鶴見区,中央区,大正区,住吉区,住之江区,城東区,此花区,北区,生野区,阿倍野区,旭区 堺市(7):堺区,中区,東区,西区,南区,北区,美原区 神戸市(9):東灘区,灘区,中央区,兵庫区,北区,長田区,須磨区,垂水区,西区 岡山市(4):北区,中区,東区,南区 広島市(8):中区,東区,南区,西区,安佐南区,安佐北区,安芸区,佐伯区 北九州市(7):門司区,若松区,戸畑区,小倉北区,小倉南区,八幡東区,八幡西区 福岡市(7):東区,博多区,中央区,南区,西区,城南区,早良区 熊本市(5):中央区,東区,西区,南区,北区
こうしてみると熊本は方角だけでやたら無機質なのに対し静岡は「葵・駿河・清水」と良いかんじの味を出しているとか、京都市は「上京・中京・下京・左京・右京」とやっぱり独自の世界を作ってるとか、横浜市→神奈川区や神戸市→兵庫区みたいに県名への下克上を果たしている市があるとか、やたら色々なことが分かる。
方角だけの区がやたら多いので各種カウントしてみたら、
- 北区 12
- 東区 9
- 西区 12
- 南区 13
- 中央区 10
というわけで日本には南区が一番多いらしい。なお私の知る限り、名古屋市民は南区の存在を忘れる傾向がある。
『横浜駅SF』書籍版2巻目が出るよ
昨年暮れに発売した小説『横浜駅SF』がなんか神奈川県を中心にずいぶん売れたらしく、このたび続編というか外伝というか、まあそんな感じの2巻目が出ることになった。
この小説は漫画化も進行しており、そちらの1巻が同時発売することになった。
ツイッター上の冗談として始めたのがこんな事になってしまって、いまいち気持ちの整理が追いつかない。知り合いに「なんでお前小説家になってんの? つーか早くあの論文書けよ」と何度も聞かれた。僕もよく分からない。話の流れで、としか言いようがない。どうやら人間は「話の流れ」で小説家になれるらしい。
もちろん、書籍化を前提としたWeb小説コンテストに応募して書籍になった訳だから、何かしら僕に「小説家になりたい」という意志があったのだろう。期間があまりに短くて覚えていないのだ。カクヨムに投稿したら、3日後に星海社の編集者が「これは絶対カドカワで書籍化しますよ、というわけでうちで新作出しませんか」と連絡が来て、ドタバタと小説家デビューが決まった。「なりたい」と思うヒマがなかった。
ちなみに星海社で書いた本がこれだ。
というわけで3冊の小説を出して、いま4冊目を書いている。比較すると研究者の仕事がろくに進んでない気がするが、小説を書く前からそうなので仕方ない。
小説は論文と違って書いた分がそのまま進捗になるので精神衛生に良いし、売上が収入に直結するのでモチベーションが維持しやすいし、何より日本語で書けるのがいい。将来が危ういのは小説家も研究者も似たようなものだ。なりたいと思う暇はなかったが、なって良かったとは思っている。
こないだアジアの某国に行ったら、書店に自国語の本がほとんどなくて、英語の本ばかりが並んでいた。こういう国に生まれていたら僕は小説家になれなかったのだろう。もう10年早く書いていたら、ネットで話題になったかもしれないが、本にはならなかっただろう。そういった意味で色々なものに恵まれている。
様々なものに感謝しなければならない。編集者とか読者とか、出版社とか書店とか、社会とか時代とか。様々すぎて全体像がつかめないので、手近な代表者としてキリスト教の神に感謝することにしている。アーメン。
「地元ネタ」に関する私論 なぜ埼玉が最強なのか
カドカワBOOKSから『横浜駅SF』という小説を発売して20日ほどが過ぎた。横浜市を中心に極めて地理的に偏ったヒットを飛ばし、一部書店(有隣堂とか)ではハリー・ポッターの新刊を超える売れ行きを記録し、その週のうちに緊急重版が決まった。
これはいわば「地元ネタ小説」である。「横浜駅の改築工事が終わらない」という地元で有名な話をネタに、「改築を繰り返す横浜駅がついに自己増殖の能力を獲得し、本州を覆い尽くした未来の日本」を舞台にしたSF小説だ。物語の舞台は横浜市内というわけではなく、むしろ山梨とか長野とか北海道とか九州とか四国、要するに日本全国である。
私はべつに横浜市に特別縁があるわけではない。ただ旅行が趣味で、全国各地の「地元ネタ」を収集するのを人生の喜びとしている。本作はそのような著者の趣味の集大成を「横浜駅」を起点として語ったものである。
ところで「地元ネタ」と言えば魔夜峰央の『翔んで埼玉』が有名である。この作品自体は1982年の初出であるにもかかわらず、近年SNSで話題になり、単行本化されたものだ。
このマンガがすごい! comics 翔んで埼玉 (Konomanga ga Sugoi!COMICS)
- 作者: 魔夜峰央
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2015/12/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (18件) を見る
このような「地元ネタ」が注目されるようになったのは、インターネットの普及により嗜好の多様化により、消費者が個別化されたコンテンツを求めるようになった結果と言えるだろう。インターネット時代は地元ネタ時代である。「国民的ヒット」が望めない時代になったので、県民的ヒット、市民的ヒットといった小さい範囲を狙って着実に売上を出す戦略が有効になったというわけだ。
ただ地元ネタならなんでも良いというわけではない。地元ネタというのは必然的に読者を限定するため、商売でやる以上は「市場規模」と「地元意識」の兼ね合いを常に計算しなければならない。
たとえば「東京○○」というタイトルを見て「地元だ!」と思う東京都民はほとんどいない。「吉祥寺○○」「高円寺○○」といった特定地域に絞れば「地元だ!」と思われるだろうが、今度は人口が小さすぎて厳しい。「地元意識 × 人口」の積が最大になる地域はどこか、という問題になる。
この「地元意識」というのは主に「全国的知名度に対する自意識」で決まると言っていいだろう。東京都民1300万人の殆どは「東京のことは誰もが知っているだろう」と思っているため、たいへん地元意識が弱い。一方、埼玉県民700万人の殆どは「埼玉のことは誰も興味がないだろう」と思っているので地元意識が強い。地元ネタ業界で「困った時の埼玉」と言われる所以である。
では「横浜」はどうだろう。横浜市は人口300万人を超え、人口規模としては十分である。しかし問題は「地元意識」である。大抵の日本人は「横浜」というとテレビドラマでよく使われるみなとみらい周辺、海の見えるオシャレな地域を想像する。それは横浜市民も承知しているため、単に「横浜」といってもいまいち「地元感」が生じない。そういう意味で横浜は「埼玉」より「東京」に近く、地元ネタ商法に不向きの地域といえる。
そこで「横浜駅」である。「駅」の1文字を付けることで視点が内陸部に移り、「全国的知名度のあるベイエリア」の印象を払拭し、一気に「地元感」がだだ上がりするのである。このレトリックで横浜市内で圧倒的な売れ行きを出した、と自己分析している。問題はここからどうやって「翔んで埼玉」なみの全国的売上を出すかという事であるが、それはまた思いついてから。
コミカライズもやってるよ
横浜駅SF 書籍版が出るよ
Web小説投稿サイト「カクヨム」で連載していた拙作『横浜駅SF』が、12月24日にカドカワBOOKSから刊行します。よろしく。
【書影】
【特設サイト】
各種情報が載っています。独自ドメインです(サブドメインだけど)。書評家の大森望先生と、SF作家の藤井太洋先生から推薦コメントをいただきました。ありがとうございます。
【あらすじ】
絶え間ない改築の続く横浜駅がついに自己増殖の能力を獲得し、膨張を開始して数百年後の日本。本州の99%は横浜駅で覆われ、Suika を所有する人間が住み自動改札による徹底した監視下にあるエキナカの社会と、それ以外の僅かな土地に追いやられた人間の社会に分けられていた……
【Web版との違い】
カクヨム版の「本編」9万字から加筆して15万字になりました。7割増しです。全体的に加筆していますが、4章(四国編)はまるごと新稿です。あと田中達之先生のイラストと、色々な設定資料(地図とか)。
【印刷書籍版】
1200円+税。文庫版ではなく四六判なので結構大きいです。書店ではライトノベルの棚ではなく、一般文芸(芥川賞とか置いてあるところ)の近くにあることも多いみたいです。
文庫版よりだいぶ大きく、新書版よりもさらに一回り大きいです。
【電子書籍版】
同時発売です。値段一緒です。
【店舗限定特典】
一部店舗で購入すると店舗限定特典のSSペーパーがつきます。2〜3ページの小話です。先着順なのでご了承下さい。
■とらのあな『名古屋駅SF ユニモール地下要塞と第七号巨大ヒト型兵器」
本編から300年前の、横浜駅増殖以前を描いたスピンオフです。
■ゲーマーズ『仙台駅SF 和やかな車内に、穏やかな終末を」
本編から100年前の、横浜駅増殖途中を描いたスピンオフです。
■メロンブックス『つくば駅SF 秋葉原から仮想世界への接続体験 ― Tsukuba Experience ―』
本編と全く関係ないネタです。
あとアニメイト、COMIC ZIN などで何かグッズ的なものが貰えるアレがあります。詳しくはこちら。
【スタンプラリー】
横浜市内の各地を歩いてスタンプを集めると景品(クリアファイルとか横浜ビールとか)がもらえます。発売日(12月24日)から1月末までやってます。
【コミカライズ版】
12月27日から「ヤングエースUP」で本作のコミカライズ版連載がはじまります。
【アニメ化はするの?】
「テレビ1クールやるには原作3冊は欲しい」って偉い人が言ってました。
【その他】
横浜駅(実在)の市営地下鉄付近のサイネージで広告が出てます。
「現実 vs 虚構」って感じだ。
【所感】
Twitter上のネタで始めたのが話が大きくなってしまい「こち亀」の15ページ目みたいな気分です。
【今後の作家活動】
2作目の情報が印刷書籍版の巻末にあります。(電子版にはあるのかな。「あとがき」には書いています)
フィクションの科学的正当性について
先日「シン・ゴジラ」を見てきたので、生物学的な観点からゴジラについてコメントしたい。作中でゴジラのゲノムサイズはヒトの8倍という事から「ゴジラがこの星でもっとも進化した生物である」といった発言があるが、ゲノムサイズというのは別に進化の度合いとは関係ないのでこの発言は間違いである。そもそも進化に大小関係のようなものは無いので「この生物はあの生物より進化している」といった概念は基本的に存在しない。たとえばコムギのゲノムサイズはヒトの6倍くらいあるが、自分が焼きたてのパンよりも劣った存在であると認められる人間はどれほどるだろうか。また作中で「シーケンスだけで何年かかるか」と言っているが、現在DNAシーケンサというのはムーアの法則を超える勢いで進化しているため
……といった事を書こうと思ったのだが、そういう話はもっと専門に近い人がやるべきなので止める。それよりも少々メタな話をする。こういう風にフィクション作品の科学的部分について言及すると
「ゴジラの存在自体が荒唐無稽なのに、細かい部分に科学的正当性を求める意味があるの?」
という言い出す人がかならず現れるので、これについてコメントしたい。
この反論は簡単だ。フィクションというのは別に「虚構であること自体」を楽しむものではない。楽しいから虚構を容認するのである。よって嘘は最小限でなければならない。よって科学的正確さが必要である。以上。
こんな事は物語の消費者にとって当たり前の事で、みんな頭では理解しているだろう。しかし、自分の好きな作品に変なオッサン(オバサンかもしれない)が「科学的正当性が〜」などといって作品を批判するのを見ると、やっかみたくなるのが人情というものだろう。
しかし、ここに重大な誤解がある。科学の専門家がSF作品の科学考証について言及する場合、それが「作品批判」である事はほぼ無い。では何なのかというと「自分の専門について言及する数少ない機会だから言及している」のである。
科学の専門家というのは往々にして「不可解なもの」の象徴として扱われる。家族友人にも自分の仕事について全く理解してもらえず「なんか大学で座禅組んで宇宙と一体化しようとしてる人」などと思われている。たとえノーベル賞を受賞しても人柄と卒業文集ばかりが報道されて、ろくに研究内容が理解されない。
こういう立場の人達が、世間で話題の映画と自分の専門内容をからめて喋る機会があったら、それを黙って見過ごせというのはあまりに酷だ、というか不可能だ。作品の良し悪しを言及しているのではない。自分が喋ることがあるから喋っているのだ。
……もちろん中には本当に科学的正当性を作品評価とダイレクトに結びつける人がいるかもしれないが、そういうタイプの人はそもそもフィクションに向いていないので、映画館に足を運ぶことはあまり無いと思う。
尚、ここに書いたのは「科学の専門家」の話である。フィクション作品の科学的正当性について言及する人種は他に「SFマニア」というのがいるが、この層は僕とあまり絡みが無いので不用意な言及を控えたい。
ホイップクリームをボウルいっぱい食べる事と、小説を書く事
このまえ小学校の卒業アルバムを見ていたら「将来は小説家になりたい」と書いてあって、そうか僕は小説家になりたかったのか、ということを思い出した。
先月「横浜駅SF」の書籍化が決まったので、これで小学生時代の夢は叶ったことになる。ちなみに中学時代の夢は「作曲家」で高校時代は「研究者」なので、3つの夢のうち2つは叶ったわけだ。なかなか悪くないスコアだ。
ところで、将来の夢というのは暗黙的に「職業」を書くものと決まっている。子供なのだから「ホイップクリームをボウルいっぱい食べたい」とかいうことを書いてもいい気がするのだが、そういうのを書くと先生に訂正を求められる。学校教師というのは基本的に公務員であり、つまり国家の走狗となっていたいけな子どもたちを管理教育し将来の納税者に育て上げるのが仕事なので仕方ない。
僕は空気の読める子供だったので小中高とちゃんと職業らしい夢を書いてきた訳だけれど、いまから考えてみると子供時代の僕が「職業」だと思ってきたものの多くがどんどん職業として成立しなくなってきている気がする。小説家なんてのもその例だ。ただ、こういう事実が必要以上にネガティブに取られているように感じる。
ネットでよく「デビューした小説家のうち10年後に生き残れるのは何割」とかいう話を聞くんだけれど、多分これは「生き残る」という問題設定自体が間違ってる。この「デビューした小説家」の中には、職業として小説家になろうと思ったのではなく、趣味で書いたものが上手いこと商業化してしまった(でも長くやるつもりは無い)という人が山ほどいるはずだ。
僕自身「横浜駅」を書いたのは完全に趣味だが、とりあえず貰えることが確定している賞金(100万円)と初版部数印税(まだ決まってないけど概算は出来る)を計算してみると、学生時代にやった在宅バイトよりもかなり割が良い。職業だと考えるとポスドク以上に先行き不安なので悲観的にもなるが、僕は単に人生のボーナスだと捉えている(割がいいので今後も書くつもりだが)。
そもそも小説執筆というのは、経験がものを言う作業とは思えない。漫画家ならたいてい連載を経て画力が向上するけど、小説家の文章力というものが経験で向上する例を僕はあまり知らないし、むしろデビュー作が最高傑作と言われる作家は山ほど知っている。他の職業で得た専門知識で小説を書く人もいる。本来的に副業向けの営みと言えよう。
実際、この国には紫式部から数えても1000年の小説の歴史があるわけだが、その頃は小説なんて宮中の貴族しか読めず、職業にはなりえなかった。専業の文筆家なるものが成立したのは江戸中期の十返舎一九の頃からで、せいぜい200年くらいだ。おそらく人口増加と識字率の向上により「小説が読める人」が増えたせいだろう。
しかし、さらに教育が普及すれば今度は「小説が書ける人」もどんどん増える。こうなると山ほどいる潜在的作家の中から実力者を探す手間が生じるが、ネットのお陰でそれもだいぶ軽減される。こうなれば一人あたりの儲けが減って、職業でなくなるのも当然だ。
こういうのは経済動向とか出版社の営業努力とは全く別の次元の問題である。ホイップクリームをボウルいっぱい食べることが職業になる時代が人類史上一度も無かったように、世の中の大抵のものは職業として成立する時代がそう長くないのである。