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「その情報量は Twitter のなんと10倍... つまり人類はすべて平等に無価値ということだ」

ホイップクリームをボウルいっぱい食べる事と、小説を書く事

このまえ小学校の卒業アルバムを見ていたら「将来は小説家になりたい」と書いてあって、そうか僕は小説家になりたかったのか、ということを思い出した。

先月「横浜駅SF」の書籍化が決まったので、これで小学生時代の夢は叶ったことになる。ちなみに中学時代の夢は「作曲家」で高校時代は「研究者」なので、3つの夢のうち2つは叶ったわけだ。なかなか悪くないスコアだ。

ところで、将来の夢というのは暗黙的に「職業」を書くものと決まっている。子供なのだから「ホイップクリームをボウルいっぱい食べたい」とかいうことを書いてもいい気がするのだが、そういうのを書くと先生に訂正を求められる。学校教師というのは基本的に公務員であり、つまり国家の走狗となっていたいけな子どもたちを管理教育し将来の納税者に育て上げるのが仕事なので仕方ない。

僕は空気の読める子供だったので小中高とちゃんと職業らしい夢を書いてきた訳だけれど、いまから考えてみると子供時代の僕が「職業」だと思ってきたものの多くがどんどん職業として成立しなくなってきている気がする。小説家なんてのもその例だ。ただ、こういう事実が必要以上にネガティブに取られているように感じる。

ネットでよく「デビューした小説家のうち10年後に生き残れるのは何割」とかいう話を聞くんだけれど、多分これは「生き残る」という問題設定自体が間違ってる。この「デビューした小説家」の中には、職業として小説家になろうと思ったのではなく、趣味で書いたものが上手いこと商業化してしまった(でも長くやるつもりは無い)という人が山ほどいるはずだ。

僕自身「横浜駅」を書いたのは完全に趣味だが、とりあえず貰えることが確定している賞金(100万円)と初版部数印税(まだ決まってないけど概算は出来る)を計算してみると、学生時代にやった在宅バイトよりもかなり割が良い。職業だと考えるとポスドク以上に先行き不安なので悲観的にもなるが、僕は単に人生のボーナスだと捉えている(割がいいので今後も書くつもりだが)。

そもそも小説執筆というのは、経験がものを言う作業とは思えない。漫画家ならたいてい連載を経て画力が向上するけど、小説家の文章力というものが経験で向上する例を僕はあまり知らないし、むしろデビュー作が最高傑作と言われる作家は山ほど知っている。他の職業で得た専門知識で小説を書く人もいる。本来的に副業向けの営みと言えよう。

実際、この国には紫式部から数えても1000年の小説の歴史があるわけだが、その頃は小説なんて宮中の貴族しか読めず、職業にはなりえなかった。専業の文筆家なるものが成立したのは江戸中期の十返舎一九の頃からで、せいぜい200年くらいだ。おそらく人口増加と識字率の向上により「小説が読める人」が増えたせいだろう。

しかし、さらに教育が普及すれば今度は「小説が書ける人」もどんどん増える。こうなると山ほどいる潜在的作家の中から実力者を探す手間が生じるが、ネットのお陰でそれもだいぶ軽減される。こうなれば一人あたりの儲けが減って、職業でなくなるのも当然だ。

こういうのは経済動向とか出版社の営業努力とは全く別の次元の問題である。ホイップクリームをボウルいっぱい食べることが職業になる時代が人類史上一度も無かったように、世の中の大抵のものは職業として成立する時代がそう長くないのである。