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「その情報量は Twitter のなんと10倍... つまり人類はすべて平等に無価値ということだ」

サトウのごはん・かんのやゆべし・ 新年

「ぼくたち・わたしたちの無限の可能性」てなことを小学校の卒業式で復唱させられた記憶がある。たしかに小学生時点で人生の可能性は無限かもしれないが、あいにく実現は有限だ。大人になる過程で学ぶのは、人生のリソースは有限であり、それを各可能性に振り分けていかなければいけないという事だ。というわけで僕が人生から削ぎ落としてしまったものの一つに「料理スキル」がある。

朝食にサトウのごはんを食べる事が多い。炊飯器は持ってるのだが、朝に食べるためには前の晩にセットする必要がある。つまり前の晩に「明日の朝は何が食べたいか」を的確に予測しなければならない。これが僕にとってたいへんな難事だ。きちんとコメを洗って水につけて予約ボタンをセットして寝て、目が覚めてみるとマミーのパスタを茹でてレトルトのペペロンチーノをかけたくなる事がしばしばある。かといって炊きたてのご飯を冷凍庫に入れるという気概もない。仕方ないのでご飯にペペロンチーノをかけて食べたりしている。油とコメの相性が悪い。

そんな話を友人にすると「それじゃ料理の好きな人と結婚するしかないね」といった事を言われたのだが、僕の場合は「料理が下手」というよりも「食欲が下手」なので、ちゃんと料理をする人間からすればこれほど腹立たしい存在はない。「夕飯なにがいい?」「なんでもいい」「そういうのが一番困る」「じゃ○○」「作った」「やっぱり△△が食べたい」とか言って喧嘩になる様子が目に浮かぶ。生活上のパートナーを持つとしたら、おそらく自分同様に食欲処理が下手な人間と、適度に互いを制御しながら外食と買い食いだけで人生を紡いでいくほうが適している気がする。と思ったが冷静に考えると一人でいるのが一番適している。

大学進学以来ずっと一人暮らしなので、なんだかもう「複数人でひとつの家に住む」という事がよくわからなくなってきた。複数人で住むとなると風呂上がりに服を着る必要があるわけだが、そのところがもうわからない。人間に服が必要ならなぜ進化の過程で体毛を失ったのか、などと家族を説得しそうな気がする。先日、正月で帰省した際にも「こうも大勢の人間が一つの家でどうして暮らしていけるのだろう」と不思議に思った。自分もここで18年ほど育ったはずなのだが不思議に思った。

ところで僕の実家は福島県にある。福島県というところは銘菓がたいへん多い。それも観光客向けに作った土産用名物ではなく、地元民が普通にお茶請け等に消費していることは明記しておきたい。三万石の「ままどおる」や柏屋の「薄皮饅頭」あたりが有名だが、そのなかにかんのやの「ゆべし」というものがある。三角形の菓子を2つ並べて菱形状のパッケージに入っているため、先日郷里の友人と「開けたら2個食べなければならない。あれはリア充向けの菓子だ」「雪見だいふくはどうなんだ」「最近は1個だけ開けられるようなパックになっている」といった話をしたのだが、あとから考えるとあの場にいたほぼ全員が既婚者だったので「人間は何があっても非リア芸を続ける」という知見を正月早々得た。

そんな感じで2018年を迎えた。今年もよろしく。