1400字制限

最近の記事のほとんどが1400字を超えているのでタイトル無視も甚だしいが1400字「以下」に制限するとは言っていない

シン・何もしてないのにパソコンが壊れた

勢い余って日記を二連続投稿してしまったが、僕が書くべきものは日記ではなく仕事の原稿(小説および漫画原作)なのである。というわけで今回は「日記を書いている場合ではない」という日記を書く。森見登美彦の「美女と竹林」は登美彦氏が竹林に行って竹を刈るエッセイなのだが、そのエッセイの締切が近いせいで竹を刈りにいく暇がないという本末転倒に陥っておりあまりに馬鹿らしいのでぜひ読んで欲しい。僕の日記も大体そういうかんじであり、つまり僕は本末転倒ぶりにおいては森見登美彦と同レベルということになる。せっかくなら小説の売上も同レベルに達してみたいものである。しかしどれだけ有名作家との類似性を見いだしたところで原稿を書かないことには本が出ないし本は出なければ売れない。先物取引みたいにまだ出てない本が売れないものだろうか、と書こうと思ったけど先物取引がなんなのかを知らない(ナニワ金融道で教頭先生が破産した金融商品、というイメージしかない)。たしかにクラウドファンディング的にまず金を集めてから原稿執筆をはじめるというのは一つのビジネスとしてありうるが、そもそも「労働は非日常」と言ってのける人間がビジネスモデルを書いても仕方ないのである。まじめな話をすると、どうにか Android 上で長文を打てる体制は確立したものの問題があって、僕はふだん「オートマン」の原作原稿をPDFで編集部に送ってるのだが、このPDFは LaTeX で書いてるのである(理工系出身者にありがち)。あとの問題は説明する必要もないでしょうから省きますね。もちろん実際的なことを言えば草稿を Android で書いてあとで iMacLaTeX に整形すればなんも問題ないのだが、そもそも「家だと仕事ができない、外出先でないと」とか妙なことを言い出す人間が草稿作業と清書作業を分離するような器用なことができると思いますか貴方? 要するにこういう「仕事ができない言い訳」が無限に思いつくのでこうやって無限に日記が生産できてしまうわけだ。どうもおかしい。実家から石油がジャンジャン出る人間は石油を売って生計を立てるべきだし、温泉が出る人間は温泉を売るべきである。ならば言い訳が出る人間は言い訳を売るべきではないのか? しかしそこは経済学における需要と供給の法則というものがあり、言い訳なんてものは山ほど供給されるが誰も需要しないので価格は Zenkin 的にゼロになるとアダム・スミスというあまりに平凡な名前を持つ非凡な天才が言っている。「漸近」の漢字変換ができないけど大丈夫か ATOK。そういえば「オートマン」は登場人物の名前が変換しづらいと苦情を言われたことはないのだがおそらく関係者みんな思ってるだろうし僕自身でさえ思っているしこうやって新しい環境で原稿をしようと思ったらまず辞書登録から始めなければいけないので無限に出る言い訳がまたひとつ増える。しかし僕はペンネームを見ればわかるようにめんどくさい漢字が大好きなのでこれについては後悔はしていないのである。ぐだぐだ書いているうちに気がついたらキーボードに移った正露丸の臭い(※2つ前の日記参照)が指にまで移ってきた。なるほどこれが「キーボードが手になじむ」ということだな。というわけでそろそろ仕事を始めることにしよう。